人と土との係わりを調べていると、二人の人物名によく出会います。その一人が入江長八で、江戸時代から明治時代に活躍した職人芸術家。漆喰(しっくい)に鏝(こて)を使って動物や人物を彫刻のように形作って着色を施し、日本的壁画技術を開拓した人です。もう一人は、同じ時期に活躍した服部長七で、左官からはじめ「人造石」を開発し、国家的土木事業にまで貢献した職人です。長七と長八で少しまぎらわしいのですが、今回は服部長七の物語にスポットを当ててみましょう。
服部長七は、現在の愛知県碧南市の1840年(天保11年)生まれ。16歳の時に左官職人だった父親が他界した後、家業を継ぐために三重県桑名で左官の修業を行いました。再び郷里に戻って左官を開業するのですが、彼は田舎の左官に満足せずに、左官以外の商売にも進出します。醸造・製菓・製酢業を営み、チャレンジ精神旺盛な彼は、ついに明治6年に上京。日本橋でまんじゅう屋を開業して成功を納めます。しかし、ここで彼の運命を決定づけた出来事に出会います。それは当時の東京では、池水を飲料水に使用しており雨になると水道の水が汚れるため、彼は水道の改良工事を考えたのです。
長七は左官技術の「たたき」の手法を試みることにしました。「たたき」とは、石灰に種土を混ぜ、水で固練りしたものを、板や木槌でよく叩き固めると石のように堅牢になるのです。しかも費用も安いので、彼はたたき屋になることに決めましたが、発注される仕事は井戸側、石塀、水槽などの小規模な工事ばかりで、長七は満足しませんでした。
そのうちに宮内省から皇居学問所の廊下や泉水、青山赤坂離宮などの工事を次々に請け負い、これをきっかけとして、大久保利通や木戸孝充らの政府高官の私邸工事にも出入りするようになり大いに信用を得ることができました。これらの工事を通し、原料の練り具合などの工夫によって発明したのが、水の中で固まる「長七たたき」でした。
彼の施工した工事は、中部地方を中心に11県39カ所。100年以上経った現在でも数多くが堅牢な姿を留めています。中でも有名なのが四日市港の潮吹き防波堤で、設計はオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケ(1842〜1913)。ここでも長七が考案した人造石「長七たたき」が堤防の自然石を固めるために活躍しています。この「長七たたき」は、大正時代になってセメントの登場とともに次第に表舞台から遠ざかりました。しかし「土」を常温で固めるという「長七たたき」の環境に優しい技法は、現代にこそふさわしい土木技術だと思われます。



